コメントはみてません。ごめんなさい。(これはお返事なのです。)

質問されたことに、答えていこうと思います。一般に公開しているけど、特定の友人たちへのシェアが目的でございます。

ガブリエル ガブリエル ときまして・・・

昨日、たまたま見た映画の主人公の本名?が「ガブリエル」で「神の左にあるもの」みたいなお話でした。

そして、今日、違う映画を検索したけど、それはなかったのに、「ココシャネル」の映画がどしても気になって・・・つい見てしまったら。なんと!彼女の名前も「ガブリエル」でした・・・

 

むむむ。と思いまして。ガブリエルのお名前を調べましたら。

「書きなさい」「私は書き物の大天使だよ」という感じ???

 

だったので。取り急ぎ、むかーしのこのブログを探して、

取り急ぎ、このお話を書いています。

 

ふ~。

書きましたよ~♪ どうなるかな?(笑)

楽しみ♪楽しみ♪

 

 

左手の次は右手。右手の次は左手。

例えば、ですが。

歯磨き。いつも右手でしてますか?

 

私は小さいときから学生時代まで、ずっと右手だけでしていた気がします。

 

大人になって、施術の仕事もすることになり、右手と左手が同じように使える必要があると感じまして、左手でも歯をみがいてみましたら!

なんとも「???」な感覚になりました。

ちゃんと磨けない!と思いました。

 

それからは毎日、左手で歯を磨くようにしました。

今はどちらの手でも、キレイに磨けます。

 

そんなこんなで。まずは右手で左側の歯をみがいてから、左手で右側の歯を磨く、

など、工夫して、いつも左右の手を使うようにしています。頭(神経)の体操?みたいに?いろんなやり方をしてみたり。

 

一度ケガをした場合は特に、立ち上がる時も、

いつも同じ足から立ち上がったりしていることも多い。

そんな人は、反対足から立ち上がってみようとするといいと思います。

 

ちょっと違和感があったり、立ち上がりにくかったりしたら、

次からはいつもその足から立ち上がるようにする。

あくまでも慎重に!丁寧に!だって、もしかしたら、その足にとっては「初めての経験」かもしれないのだから。

 

もしかしたら、反対の足からでは全く立ち上がれないかもしれない。

その時は、「どうしてかな?」と観察し、原因となっているところをほぐしたり、柔軟したり、筋肉をつけたり。毎日問いかけて心を配ることが大切です。

 

何か月も何年もかかることもあるけれど、毎日の小さな行動を、毎回意識して変え、新しい習慣をつくると、意外と早く、変化を感じることはできるかも。

 

自分の体を観察すると、自分を客観的にみることにもつながるけれど、

まずはお掃除とかでも「左手使ったら、次は右手」

おすすめです。

癒しにはちょいちょいやることが効果的と思われる

癒し とか 癒される という言葉に、なんだか魔法のような感じが含まれているのか????わかりませんが、突然に治ったり、気持ちがパーッと明るくなったり、そんなことを期待するときや、期待して生きている人もいなくはないようです。

 

が。

多くの癒しには計画みたいにちょいちょいやることと行動(きちんと実行すること)が必要だったりします。めんどくさーって思っても、ルーティンにしてみるとかね。

楽するために、書類整理してみたりとかね。

 

傷をおったことがない人はいないと思うけれど、「その中にずっと生きている」人と、

「その体験を通して学んで、そして、通り過ぎていく」ような人とは

全然、癒される速度が違うのは理解できると思うのですが・・・

 

「傷の中で生きる」なんて、

誰が求めてるんでしょう? 誰にも求められてはいないかも。

 

求めてる人がいるとしたら、自分だけ。「その中にいたい。いよう。」と決めてるから、抜けだす計画も立てないし、立てても、きちんと実行しない。

だから、癒されない。(現実はそのまま。もしくはあまり変わらない。もしくは悪化する)

 

自分を犠牲者として、しゃべり、行動し、考える(祈るとか含む)時間は、無駄な時間だと認識してみましょう。(もし、癒されたいなら、そういうちょいちょいやるようなことを楽しく計画とかしてみましょう。)

 

適切な栄養。毎日の食事。朝おきて光をあびること。毎日の運動。まずは、肉体が喜ぶことを一つでも、全部でも、やってみるのもお勧めです。意外と小さなことだとしても、効果がじわじわでてくることが多い。なんていったって、「ほんとは毎日実行できるけど、やっていなかった」ことを「毎日実行した」事実が生まれる。

 

癒しを起こすキッカケを誰かにもらうことはできますし、

奇跡は沢山おこるもの。ではありますが、癒しが起こる時は、自分自身が、変わる時。

 

変化を実際に、起こす。

小さいことでも、全身全霊で取り組む。

毎日、癒しの方に意識をむけて楽しくしていく。楽しよ~♪って思って工夫しながら楽しくね。

 

そう。

この星では、現実化させたいことを思い描くことはもちろん、「んー、そしたら、これ、やってみよ~♪」なんて行動は、ちょいちょい現実にやると、どんどん癒しにつながっちゃうものなのでありました。

思いついた時を逃さず、ちょいちょいちょいちょい。やるといいですよね。

人生は同じことの繰り返し(?)

またコレか・・・

また同じことをしてる気がする・・・

 

と落ち込んだり、ちょっとだけ自分を嫌になりそうになったりする瞬間があるということですが・・・

 

人生は同じ(様な)ことを繰り返して、成長してる!ものなんだと思います。

(あきらかに、反省もせず、改めようともせず、問題を直視することもせず、結果、いつも同じ過ちを繰り返している人は、ここでは例外といたします。)

 

「この道こそがすべき道(行きたい道)」というのがあって、地道に何かを成し遂げようとしているとき。そんなに、人って、あきらかに、全く違う道を選んだりしない。

 

同じまっすぐな一本道か、違うようにみえても、その核は似ている道の上にいる。

その道を黙々と進んでいると、似たような問題にぶちあたっても、それは、ある意味、当然とも言えませんか?

 

そして、よーくよーく観察してみると。

「でも、以前よりはずっとまし!」なことに気づくはず。

 

「そうは言っても、前に出会った意地悪い人たちより、たちは悪くないよね」

とか

「そうは言っても、今回、私は昔よりずっと、わかりあえる人を増やしたよね」

とか。

 

そう。「同じことばっかりやってる・・・」けど、「そうは言っても!成長してる!」

 

それでいいんです。

 

人生は一本道。としても、それはまっすぐ、道路を行くようなものではなくて、

螺旋階段を上るようなものだと理解すると、気が楽になります。

 

下の方で学んだことを見つつも、どんどん上に上がっていく。

同じような曲がりのところで、また同じような嫌なこと(自分のクリアすべき課題)が起こったとしても、ちゃんと進んでいるならば、以前よりは、高いところに進んでる!

 

そんな感じ。

 

そして、その螺旋階段を上るのは、結局、黙々と、地道に、あがるわけで。

(楽しく、遊びながら でいいのですけど、黙々と、地道に、は同じかな)

 

そう。だから、この道は孤独。進めば進むほど(上に上れば上るほど)、よく見えるようにもなるから、あなたと同じくらいには見えない人から何かと嫉妬されたり攻撃されなくもない。あなたが真摯に対応したことで、逆に、窮地に陥る人もいて、その人の保身の為にウソをばらまかれることもある。

つまり、孤独にならなければならないことは、進んでいく過程でよくあること。

でも!!

さみしくなって「ああ、また、同じことの繰り返し・・・」と感じてしまっても。

だからこそ、誰かにとっては、とても必要な人になれる。

 

だからいいんです。よい孤独は自由への近道と思いましょう。

地道に黙々と、進みましょう。

 

 

意外と、息をしないで生きている

呼吸なんて、自然にしてるものだ、と意識していない人も多いと思います。

アスリートやダンサー、ヨガをする人は、呼吸はとても大切なものと知っている人が多いから、意識して吐いたりしていると思うけれど、普段はどうか?と考えると、

意外と、ちゃんと息をしていないことも多いかもしれません。

 

どこかしらが痛いときは、特に要注意。

かがむとき、立ち上がる時、ものを持つときに、ついつい息を止めている。

一瞬息を止めた方がいいこともあるけれど、

くせになっていて、ほとんどのことを息を止めることで対応していたりする。

 

体や心のどこかに痛みがあるとき。

つい、息をとめて、がんばったりしている。

 

それは、その瞬間だけならいいのだけど、

「クセ」にならないように気をつけてくださいね。

 

あ、息を止めてる・・・こんな時にも?と気づいて

え?息止めなくていいんじゃない?と気づいたら。

なるべく、深ーくはきましょう。

 

最初はちょっと難しかったり、違和感があったりするかもしれないけれど。

 

すこしずつ。確実に。楽になる。

 

息はしたほうがいいです。心にふりまわされなくなる。

少しずつ。確実に。楽になりました。

びんぼー びんぼー と言われてきましたが

「びんぼー!」「びんぼー!」

も、小学校低学年の時に、男子によくはやしたてられていました。

なんでか、わからなかったので笑

ある日、「なんで私が貧乏なの?」

と聞きましたら、

「だって着てる服が昔っぽい!」「そればっかり着てるし!」

とのことでした笑

 

その時、ちょっとしたショックを受けました笑

?この服が、貧乏にみえるの?!ほー!なんでー??このボタンとか超かわいいのに??

 

そのお洋服は、となりのお姉ちゃんのお古か、知り合いの元ペンキ屋のおじさんの妹さん?が、小さいときに着ていた服だったと思います。いつもそのおじさんは、なぜか、父を訪ねにうちに寄って、私に、素敵なお洋服やハンドバッグをくれました。その妹さんが、誰かにあげたいと言ったものを持ってきてくれたんです。それは、今でいうところの、超レトロなかわいいものたち!

 

「貧乏ワンピース」はグレーでちょっとチェックみたいな柄。厚地でジャンパースカートのようなワンピースのような。すとんした形。ポケットもついていて。手作りだったのかな??

とにかく、かわいい!と思って毎日のようにそれを着ていたんです。誰かが大切に着ていたお洋服をいただけるのが本当にうれしくて。大好きだった。隣のおねいちゃんが大好きだったから、おさがりも大好きだった。

今でも60年代のファッションなど、大正とか昭和レトロな感じは好きなんですが、小さいころから、好みが変わっていないということですね笑 今は着てないけれど。

 

小さい頃は、よくわかっていなかったけど、スーパーやデパートで売っている服で、かわいいと思うことがあまりなく。だからひたすら、いただいたお洋服のことを「かわいい」と思ってきていたのかな。毎日、その服を着るたびウキウキしてた。

 

「このお洋服が貧乏なの??」(デザイン最高。着心地満点。すごいお気に入り!!)と不思議でしかたなかったですが、あまりにも「貧乏」「貧乏」といじめられるのがやっぱりつらかったので、母に「貧乏、貧乏って言われる・・」と愚痴りました。

 

そしたらですね!!すごいことがわかったんです。

母が「絶対にうちの方が貧乏じゃないから、気にしなさんな」

って言ったんです。いつも「あなたが悪い」という母が、珍しく!「絶対にそれはあっちが事実じゃないから、あなたは気にしなくていい」と!断言した。

???なんでそんなことわかるの???と驚く私に、

母は「あなたはちゃんとしたお家にすんでる。お庭もある。そのいじめっ子はあの〇〇に住んでるでしょう?それなのに、あなたのお洋服だけで貧乏と決めてるのはおかしい」

 

その時、本当に、もうひとつ衝撃をうけました。

見た目が貧乏にみられてるとか、本当に、お金持ちとか、そういうの、あらゆる面で関係ないんだね?!!!

そもそも、気に入ってるからいいんだけど、そのお洋服が貧乏な人のものかも事実と違うのに、「貧乏!」ってイジメてくる人の方が、実は貧乏だったりするかもしれないということがあるんだね?!

一目瞭然な事実が他にあるかもしれないのに、いじめてくるって・・・ことがあるんだね??

それをあの子たちは知らないんだね??(わたしも知らなかった!)

本当に気にしなくていいんだ!

 

そう。だから、私は、ずっと、貧乏くさい変な服(と言われる服)とか、いつも同じ服とか、好きなように着るようになりました。いただいた古いお洋服を大切にきたり。小さな洋品店でたまたますごく気にって、母が買ってくれた気に入った服2着ばかり交代で毎日着たり。

 

ずっと古いものが好きだったから、高校生になったころには、母の若いころのコートやセットアップや、知り合いがくれた超60年代風のワンピースとか。

 

それはその時代に流行ってるお洋服とは全然違ってたから、高校時代も「貧乏」にみえたかもしれないけど笑。

 

それでいいんです。貧乏ってなんなん?

それでいいんです。実際、高校時代は、お洋服で「貧乏」とか「ダサい」とか、虐めてくる人はいなかったし。笑

 

すごーく大人になって

ビジネス展開するうえで、お相手を不安にさせないために、ちょっとちゃんとしたスーツを着たり、それっぽい服を選んでいくことはありましたが、私の中で、今は基本、お金持ちにみられる必要がむしろない。

 

私を「お金があるから」と思って付き合いたがる人がいたら、結局生き方違いすぎるし。笑

 

今、自由だった小さなころの自分に戻れていることに感謝します。

幸せって、事実をみることから始まる。いずれにしても。

癒される 癒し系 という言葉が広まりましたが

癒す という言葉は、その意味からすると他動詞ですよね。

「〇〇を癒す」「私の一緒に暮らしている犬のあの子に癒される」

というように使われている。

 

それが、実は、もともとは、「癒す」という単語は「癒える」という自動詞だったと

聞いたことがあります。

 

その時ちょうど、この「癒」という字をめぐって、検討しなくてはいけなかったのですが、それは、すごくよいヒントになりました。

 

癒す ではなく、 癒える

 

自分は人を癒す人 などを目指しているのではなく

自分自身が癒えていく それが本当に重要。

 

それぞれが、それぞれ、癒えていく。自分で癒えていく。

 

それには行動が必要。

まず、やめてみる。 まずやってみる。 まず試してみる。 まず手を付けてみる。

そんなところから、癒えていったらいい。と思います。